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現代の太秦は映画の撮影所があることで有名ですが、古墳時代からの時を刻む太秦には、謎多き渡来人・秦氏の史跡をはじめ、見所が多数。地元商店街の店主たちが推奨する、隠れ名所を案内します。6世紀前半頃、秦氏の有力者の墓として造られたといわれている天塚古墳や、法然(ほうねん)上人の弟子・来迎房(らいげいぼう)上人を開祖とする浄土宗寺院の西光寺など、長い歴史を刻んできた太秦ならではのスポットを訪れるコースです。 |
![]() | 6世紀前半頃、秦氏の有力者の墓として造られたといわれている前方後円墳。現在、二つの石室の一つには伯清稲荷大神(はくせいいなりおおかみ)が祀られている。明治20(1887)年の発掘調査では、勾玉や銅鏡など多くの副葬品が出土。それらは貴重な資料として京都大学文学部博物館などに保管されている。 | 右京区太秦松本町18 |
![]() | 元禄年間(1688~1704年)に廃れた、海生寺(かいしょうじ)の跡に建つお堂。開祖・深山禅師(しんざんぜんし)の像と位牌を安置している。この禅僧は、いつも傷んだ車に乗っていたことから「車僧」と呼ばれ、700年前のことを語ったため、「七百歳」とも称された。謡曲「車僧」には、禅師と天狗が法力比べをする場面が描かれている。 | 京都市右京区太秦海正寺町 |
![]() | ガラス作品と金唐革(きんからかわ)作品を展示するギャラリー兼工房。建物は昭和11(1936)年の建築で、国の登録有形文化財に指定されている。金唐革は、なめし革に特殊な加工を施して金属箔を貼り、型押しして彩色を施した工芸品。200余年に技法が途絶えたが、この工房で作品を作っている徳力康乃(とくりきやすの)氏が現代に復活させた。館内は、豪華客船で使用されていた華やかな調度品で彩られており、ガラス作家の徳力竜生(たつき)氏によるガラス工芸教室(体験教室もあり)も開かれている。 | 京都市右京区太秦組石町2-2 |
![]() | 法然(ほうねん)上人の弟子・来迎房(らいげいぼう)上人を開祖とする浄土宗寺院。法然上人入滅後の嘉禄3(1227)年、他宗派の僧が知恩院(ちおんいん)の霊廟をあばき、上人の遺骸を鴨川に流そうしたため、一時的に遺骸をこの地へ避難させたと伝わる。その事件にちなみ、毎年1月24日には、ここから長岡京市の光明寺(こうみょうじ)まで念仏行脚が行われる。 | 京都市右京区太秦多薮町30 |
![]() | 開店日時が決まっていないため、「幻」とも呼ばれるみたらし団子の専門店。軽く炙った弾力のある団子に、しょうゆベースの甘めのタレと、香ばしいきな粉をかけるというのがここのスタイル。きな粉は購入時にかけるかどうかを選ぶことができる。 | 右京区太秦大映通り三吉稲荷前 |
![]() | 京都府下最大、床面積では奈良の石舞台(いしぶたい)古墳に次いで全国第4位の大きさの石室を有する古墳。7世紀頃、秦氏の有力者の墓として造られたと考えられている。もともとは、表面を土に覆われた前方後円墳だったが、現在はその土が失われ、むきだしの石室だけが残っている。石室は長さ17.8m。その名は、昔、蛇が石室内に多く生息していたことから付けられたと伝わる。 | 京都市右京区太秦面影町 |
![]() | 広隆寺(こうりゅうじ)の東側に位置する浄土宗寺院。もともと四条大宮にあったが、昭和26(1951)年、現在の地に移された。境内の墓地には、江戸時代中期に活躍した画家・円山応挙(まるやまおうきょ)の墓があり、二代応端(おうずい)、三代応春(おうしゅん)、四代応震(おうしん)ら弟子たちとともに、この地で静かに眠っている。応挙は、写生を重視した親しみやすい画風を大成した人物。当時の京都画壇に多大な影響を与えた。 | 京都市右京区太秦東蜂岡町5 |
![]() | 広隆寺内にある桂宮院(けいきゅういん)の鎮守をつかさどっていたともいわれる神社。古くは「大辟(おおさけ)神社」と称したという。建立当時は広隆寺境内にあったが、明治時代の神仏分離政策によって現在の地に移転。京都三大奇祭の一つである「牛祭」(現在は休止中)は、広隆寺で行われるが、実はこの神社の祭礼で、仮面をつけた「摩多羅(まだら)神」が牛に乗って巡行し、奇妙な祭文を読み上げるという不思議なもの。 | 京都市右京区太秦蜂岡町30 |