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高校生手作り修学旅行満足コース。京都を訪れる修学旅行生のために、市立高校生が作った京都市北部の修学旅行生必見のスポット紹介。若者ならではの感性で選んだコースガイドです。(写真)紫野高校
京都市立紫野高校の生徒たちによる手作りガイド。地元ならではの隠れた観光スポットなど、学校周辺の名刹などをピックアップして紹介します。(紫式部の墓、雲林院、大徳寺、今宮神社、船岡山「建勲神社」、金閣寺 など) |
![]() | 有名な紫式部の墓を訪ねるなんてドキドキ。だが、意外と簡素にひっそりと、堀川通に面した建物の一角にたたずむ。南北朝期から室町期の古典学者・四辻善成(よつつじよしなり)は、『源氏物語』の注釈書『河海抄』に「式部の墓は小野篁(おののたかむら)墓の西なり」と記述。これを基に位置を推測し、現在の墓所が整備された。平安期の公卿である篁の墓は右側にある。 | 京都市北区堀川通北大路下ル |
![]() | 平安時代の歴史物語『大鏡』は、この雲林院を舞台に老翁らが歴史を語り合う趣向になっている。元は淳和天皇の離宮・紫野院で、後に天台宗の官寺や大徳寺の子院の禅寺となったが、応仁の乱で焼失した。現在は大徳寺の門外塔頭(たっちゅう)で、宝永4年(1707)建立の観音堂が残る。『源氏物語』では藤壺に拒絶された光源氏が参籠した場所だ。『伊勢物語』『古今和歌集』などにも登場する。 | 京都市北区紫野雲林院町23 |
![]() | 鎌倉時代に宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)を開山として創建された臨済宗大徳寺派の大本山。応仁の乱で焼失後、とんちの一休さんで知られる一休宗純が復興した。千利休ら茶人が帰依したことから茶道との縁も深い。豊臣秀吉が織田信長の葬儀を行い、その後諸大名による塔頭(たっちゅう)建立が相次いだ。現在は本坊のほか20以上の塔頭が並ぶ。聚楽第(じゅらくだい)の遺構である唐門や三門金毛閣、方丈、法堂(はっとう)などの建造物、また狩野探幽筆の障壁画や古文書など、多くの国宝・重文指定の文化財がある。 | 京都市北区紫野大徳寺町53 |
![]() | 毎年4月に疫病除けとして行われる「やすらい祭」は京都三奇祭の一つ。やすらい踊りが舞われる奇祭だけに機会があれば一度見てみたい。この祭りで行列する大きな花傘の中に入ると厄を逃れるという。人気なのは境内の「阿呆賢(あほかし)さん」という石。三回持ち上げ、次に願いを込めて三度なでてもう一度持ち上げると願いが叶うといわれる。古くから疫病を鎮めるため祀られ、長保3年(1001)に神殿を造営して今宮社と呼ばれた。 | 京都市北区紫野今宮町21 |
![]() | 小さくちぎった餅を竹串にさし炭火であぶったものを、きな粉を混ぜた白味噌のたれを付けて賞味する。今宮神社の門前町に伝わる名物で、今でも老舗茶店が販売している。平安時代中ごろに厄除けを願い供えたのが始まりといい、「やすらい祭」と同様に無病息災の御利益を願う。 |
![]() | 明智光秀のクーデターにより本能寺の変で無念の死を遂げた織田信長。天下統一の夢は実らなかったが、戦国時代の勇猛果断な武将としてファンも多い。後を受け継いだ豊臣秀吉が船岡山一帯を信長の霊地とし、明治維新になって明治天皇の命で信長を祀る神社が創建された。その後、本能寺の変でともに討たれた子の信忠も祀られ、明治43年(1910)には中腹から山上に社殿が移された。 | 京都市北区紫野北舟岡町49 |
![]() | 平安京が造営された時、今でいう都市計画の基準点にされたともいわれる標高112メートル余の小高い丘。清少納言が『枕草子』の岡づくしで真っ先に上げているように、平安時代は王朝貴族らが遊行する景勝の地だった。その後は葬送や戦乱時の要衝の地となり、山名宗全が西軍を率いた応仁の乱では西軍方の砦も築かれた。明治初めに建勲神社が創建され国指定の史跡になっている。 | 京都市北区紫野北船岡町42 |