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有名な紫式部の墓を訪ねるなんてドキドキ。だが、意外と簡素にひっそりと、堀川通に面した建物の一角にたたずむ。南北朝期から室町期の古典学者・四辻善成(よつつじよしなり)は、『源氏物語』の注釈書『河海抄』に「式部の墓は小野篁(おののたかむら)墓の西なり」と記述。これを基に位置を推測し、現在の墓所が整備された。平安期の公卿である篁の墓は右側にある。
鎌倉時代に宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)を開山として創建された臨済宗大徳寺派の大本山。応仁の乱で焼失後、とんちの一休さんで知られる一休宗純が復興した。千利休ら茶人が帰依したことから茶道との縁も深い。豊臣秀吉が織田信長の葬儀を行い、その後諸大名による塔頭(たっちゅう)建立が相次いだ。現在は本坊のほか20以上の塔頭が並ぶ。聚楽第(じゅらくだい)の遺構である唐門や三門金毛閣、方丈、法堂(はっとう)などの建造物、また狩野探幽筆の障壁画や古文書など、多くの国宝・重文指定の文化財がある。
小さくちぎった餅を竹串にさし炭火であぶったものを、きな粉を混ぜた白味噌のたれを付けて賞味する。今宮神社の門前町に伝わる名物で、今でも老舗茶店が販売している。平安時代中ごろに厄除けを願い供えたのが始まりといい、「やすらい祭」と同様に無病息災の御利益を願う。
平安京が造営された時、今でいう都市計画の基準点にされたともいわれる標高112メートル余の小高い丘。清少納言が『枕草子』の岡づくしで真っ先に上げているように、平安時代は王朝貴族らが遊行する景勝の地だった。その後は葬送や戦乱時の要衝の地となり、山名宗全が西軍を率いた応仁の乱では西軍方の砦も築かれた。明治初めに建勲神社が創建され国指定の史跡になっている。